ガバナンスに関する理論

"The New Chicago School", Lessig
統治や規制には「法」「規範」「市場」「アーキテクチャ」の4つの要素がある。そして、「法」は他の3要素に対して影響力を行使し、間接的な規制も行い得る。ただし、インターネットにおいては「アーキテクチャ」が「法」よりも強い力を発揮する可能性がある。


"The Proper Legal Regime for 'Cyberspace'", Hardy
サイバースペースにおいて生じる法的問題には、伝統的な法を適用できる問題と、サイバースペース特有な問題とがある。これらは区別して考えられるべきであろう。(サイバースペースの規律を定めるには慣習の発展や、自力救済、契約、規約等でも可能であり、コミュニケーション技術も迅速に発展しているのだから)サイバースペースの適切な規律は、最も分散的で柔軟性があり、かつ最も非介入的な物がベストであるという前提で構築するべきである。


"Anarchy, State, and the Internet", Post
サイバースペースではルールに我慢できなかったら容易にそこから"exit"して管轄を変えることが可能であり、ルールの「自由市場」とでもいうものを出現させている。


"Jurisdiction of Cyberspace", Byasse
現行の判例法をサイバースペースに適用することには弊害がある。サイバースペースのユーザーが自らの利益を保護するためにロビー活動を行って制定法を立法することが望ましい。


"Federalism in Cyberspace", Burk州ごとにインターネットへの規制を加えようとすると、インターネットの発達を阻害するおそれがある。


"Law and Borders", Johnson & Post
地理的な領土主権に基づいた裁判管轄権や準拠法はサイバースペースには適合しない。サイバースペースの利用者は独自の法を責任をもって成立させるだろう。現実国家主権による法の適用は控えるべきである。


"The Zone of Cyberspace", Lessig
現実空間にいる市民にネットが影響力を持つ場合、現実空間の主権がネットを規律したいという主張は非常につよいものになる。


"And How Shall the Net Be Governed ?", Johnson & Post
現実世界へ悪影響を与える一定の活動については主権国家による介入を肯定。インターネットの統治形式としては、インターネットを形成している各システム・ネットワークがまず自治的な統治を行い、その上でそれらが一定の合意に至るという「連邦国家」的な方式。「ネット連邦主義」

ネット連邦主義

"And How Shall the Net Be Governed ?", Johnson & Post
ネットのユーザーのみならずそれから影響を受けるすべての物からも、不法な行為を防止するための「ガヴァナンス」や「秩序」が求められる。
統治の方法は4つに分類可能。
(1) 現存する地域的な主権の管轄権を行使し、必要な場合には現行法を修正して、自国民へ相当な影響を有するネット上のすべての活動の統治に努める。
(2) 各主権国家が多国間の合意 / 条約を形成し、ネット上の行為に特に適用される新たな統一法を設定する。
(3) 新たな国際的な機関が、新たな規範を制定し、その規範を執行するとともにそれぞれが一定区域について責任を持つようにする。
(4) ドメインネームやIPアドレス登録機関、シスオペ、およびユーザーらによる個々の決定と相互作用の結果としてデファクトな規範が出現する。
最初の3つには欠陥があり、4番目の方法がネットにふさわしい秩序を作ることができる。ネットはself-regulationを形成できるのだから、集権的トップダウンな管理の実行は差し控えるべきである。
ただし、現実世界に深刻な影響を与える事例については既存の国家主権による力を借りてサイバースペース自治を防衛することになる。
将来的には、合意によって一つのネット法(law of the net)ができるか、複数のネットワーク連合体(multiple network confederations)による統治(連合体の国境を越えた情報流通を防ぐこともあり得るだろう)になるかもしれない。


"The New Civic Virtue of the Net", Johnson & Post
利用者が直接参加する直接民主主義的な統治の提案。
インターネットにおいては従来のような地理的領土主権に基づく法の概念では統治できない。そして国際的な統一ルールを定めることも困難である。しかし、サイバースペース用にルールを考えて門打点を克服することは可能である。
ユーザーは所属するネットが気に入らなければ容易にその社会からexitできる。これを利用し、シスオペが専制的であった場合には、ユーザーがexitしていくことによってチェックが為される。


"Governing Cyberspace", Post
トーマス・ジェファソンの統治する対象の最も少ない政府こそが望ましい−安全な政府形態とはすべての権限をそれに委譲してしまうものではなくむしろ権限を分散するものである−という主張を、サイバースペースに当てはめることによって「電子的連邦主義(electronic federalism)」が実現する。
ネットワークから自由に脱退できるというルールの自由市場という形で参加者自身による自治的な連邦が形成される。

ガバナンスについて

電子的連邦主義においては、個々人がそれなりの判断能力、処理能力を持つことが要求される。しかし、参加しているネットがきちんと運営されているかどうかをチェックする気がある人間がどれだけいるだろうか。
自分宛のメールを受け取ることができ、好きなサイトを見ることができれば、だいたいOKって感じではないか。個人情報の流出についても、本当に気にしているのかというのは疑問だったりする。いや、私は流出して欲しくないけど。かなり色々なところにしれてるだろうなとは思うが。
参加している個々人がどうでもいいや、と考えているとき、そのネットワークの法はどのように形成され、ガバナンスはどのように行われるだろう。管理者も面倒だからといって国にしたがったら?
ネットでのセルフガバナンスを成立させるためには、個人の意識が高いことはほぼ必須の条件だから、これはあるものと考えるしかないのか。もしくは教育によって植え付ける?
もう一つ。ユーザーは自由にexitできる。それは確かにそうだ。しかし、相手に物理的な回線を握られてしまった場合、exitしたあとenterする場所がないことになる。また、enterする場所が常にあるのならば、統合が進んでいくたびごとに発生するexit者達がまた別の場所で領域をつくり、そして大きくなった統合体からのexit者を集めて……という風にぐるぐると繰り返していたりして。ある程度の規模で止まって、電子的な壁(electronic fences)によって分断? それはそれで面白いか。
また、強制的にexitさせる方法についてはあまり述べられていない。あるネットワークの中でルールに従わない人間には強制的にexitさせる仕組みが必要になるだろう。インターネットにおいて、罪を与えるとしたらその程度しか方法がない。一度exitされると、その人間は数年間の間そのネットワークに接続することができない or 他者の数倍の値段を払わないと参加できないとする。この情報が各ネットワークで共有されることで、完全な罰則として機能するかもしれない。個人情報保護法にはひっかかるだろうが。
複数のアイデンティティを持ちたい場合にはどうすればいいだろうか。リアルでは一人と特定される以上、片方のIDでの悪戯が、もう片方のIDへも影響を与えて、停止されるということもあるだろう。まあ、自業自得なわけだが、ネットにおいてのアイデンティティを、IDにおくか、リアルの人間におくかによってちょっと変わるのかもしれない。
なんか思ったままに書いているからまとまらない。また後で。

ふと思ったこと

今日ちょっと人と会ったのだが、その人と話していて思ったこと。
私は別に2ちゃんねらーというわけではないが、吉野家コピペヘルシングコピペ、各種オフなどについての知識はある。私の周辺ではそれくらいの知識を持っているのがだいたい当たり前という感じであった。別に2ちゃんねるに行かなくたって、Webをある程度の期間使っている人ならそれくらい知っているんじゃないかと。
しかし、実は違うらしい。普通にネットにつなぎ、ネットに関連することを研究している人でも、そういうことを知らないということはあるようだ。そういやうちの社学の先生も私が見せるまでマトリックスオフは知らなかった。
‥‥‥やっぱり私のほうが何か間違っているのだろうか。