著作権帝国の野望

昨日の茶会ででたネタの一つ。
現在の著作権に関わる人びとの集団は、大きくわけると3つに分かれる。

1つは著作権を絶対の権利として保持する集団。
1つは著作権はできるだけ自由にした方が生産性等があがるとしてできる限り自由を維持しようとする集団。
1つは著作権?何それ?という集団。

ここでは、第一の集団を「著作権帝国」、第二の集団を「コモンズ共和国」、第三の集団を「蛮族(バーバリアン)」と呼ぶ。
著作権帝国は、自らの利益を守るために蛮族達を著作権教によって教化し、彼らを自らの領土に取り込んでいく。
コモンズ共和国もまた、自らの主張の支持者達を集めるために、説得工作などを行っていく。
帝国は一枚岩で「権利強化」と言え、さらに3秒でわかるように自らの主張を言うことができ(http://oreillynet.com/pub/wlg/1855)、蛮族にも主張がわかりやすいというのに対して、共和国は共和国であるゆえに個々人の主張がまちまちで、人に理解してもらうには3秒では足りず、理解してもらえるかどうかもはなはだ怪しい。「著作権は著作者の生活のために守らなければなりません」というのと、「著作権は基本的には著作者の生活のために守る必要があります。ただし著作権にはいくつかの例外があって、その場合には誰でもその条件内で自由に使えます。また、権利を放棄することによって、自由な創作を行うことができるようにして、得られる利益もあります」というのでは、理解にも支持者を増やすにも明らかに差があるというわけだ。
帝国の侵攻に共和国が抗するのはとても難しい。そして、帝国の領土−というか支配下にある人、だな−は、DRMをはじめとする管理ツールによって次々と「完全な管理」のもとへとおかれていく。
共和国の利点は、クラシックをはじめとする現在すでにPDになっているコンテンツの多さにある。それを用いる限りは、自分の領土を保持できる。ただし、帝国の法によって過去のコンテンツにまで権利が遡及して復活なんてこともありえないことじゃない。


共和国が勝利する可能性はないのか? あるとすれば、それは帝国の勝利の宴の中、突如現れる裏切り者の存在だ。帝国で利益を得ている、でも、トップクラスにまでいけるわけではない、という中小貴族、新興貴族達によるクーデター。今まであった革命と同じことをおこす基盤をつくることによって、著作権を解放する革命も起こりえよう。
著作権というものの存在を帝国の教化によって植え付けられた蛮族は、それ以前の蛮族よりも、共和国の理念を受け入れやすいだろう。
ただし、革命が起こる可能性は低いかもしれない。著作物なんていうのは生活に必須のものじゃない。管理下におかれていても、特に問題ないよ、という人間も多いだろう。そして下手に権利を自由にしてしまうと一番困るのはそれによって暮らせなくなってしまいかねないクリエイター達だ。
結局、帝国の支配の中、共和国は細々と自らの領域で活動を続ける自治領という扱いになるのかもしれない。
その中で共和国の生産性が帝国の生産性にまさるということを示せれば、また違うのかもしれないが……。