消尽しない譲渡権

三田誠広氏の発言だが、だいたいこんな感じだった。

従来、中古品の売買についてはデジタルと書籍のようなものとで分けて考える考え方がある
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最近の読者は本を所有すると言うことにあまり関心がない。
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推理小説は読み終えて犯人がわかったらもう二度と読まないものが多い…(中略)…古本屋で本を買って推理小説を読んで犯人がわかってしまったら、その物体としての書籍には価値がないということで、また古本屋に売りに行ってしまう。
読者の立場から考えると、読者は推理小説を読んで犯人がわかればいい。そうすると新刊書を購入して本を保有している人も、古本を買って犯人がわかってそれをまた売った人も同じように本を読むということを享受している。
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新刊を買った人は著作権使用料を払っているが、古本を買った人は使用料を払っていない。著者等からすれば楽しんだ人から平等に使用料を貰いたいというのがあたりまえ。
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以上の論点から、中古品の流通に対して、デジタルと一般の書籍とを区別するようなこと無く、平等に検討して頂きたいと思います

同じ本を何度も読んでしまう人間としては、それはどうよ、と思うわけだが。いらなくなってもため込んじゃう質だからなぁ……。
で、そういうこともあってかなり納得いかなかったりする。むしろずっと保持しておきたいという本を作るべく努力するべきとかそういう話なんじゃないだろうかとか思ったり。
その時間楽しめればいい程度のものでしかないということだよね、これ。
こんなこといいだしたら、そもそもそれは著作権にのみ当てはまるわけではない、という話が出てくるんじゃないだろうか。そうすると、市場での物の流通が著しく困難になりそうなんだが。